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「ウィトゲンシュタイン入門」を読んで考えたこと

作成日時:2025-08-13
更新日時:2025-08-14

「永井均. ウィトゲンシュタイン入門. ちくま新書, 1995.」を読んで考えたこと。

本ページはあくまで私が考えたことのメモなので、哲学的な考えなどは書いていない。
システム開発における考えや、ドキュメントライティングやLLMに関する考えがメインである。

コンテキストについて

P.91 P・スラッファのくだり

コンテキストが無ければ”それ”の意味を理解できない。
コンテキストが異なれば”それ”の意味の解釈は異なる。
命題が真か偽かはコンテキストに依存する。
意味は文脈に依存する。

「顔を赤くして大声でわめいている」
→怒っているのか、酒を飲んで上機嫌なのか。

「Aは、Bを殴った」
Aの行為は許されるか。

「Aは、Aをナイフで刺殺しようとしてきたBを殴った」
Aの行為は許されるか。

コンテキストの過不足

文章を読んだときに発生する”why”は、コンテキストが適切に提示されていないサインかもしれない。
文章を書くときは”why”を発生させないようにする。
その文章、段落の中で読み手にコンテキストを提示する。

コンテキストの量

LLMに対しては必要最小限のコンテキストを。
人間に対しては読み手のスキルに応じた過不足ないコンテキストを。
どちらにも共通なのは、その文書を読んだときに「why」を発生させないこと。

解説書などにおいて文章が長く感じられるのは、
色々なスキルレベルの読み手のために「why」を徹底的につぶしているからかもしれない。

言葉

言語とは現実世界の写像。

言葉そのものが何であるかより、それがどういう作用や結果をもたらすのか。
→経験主義
→実用主義
→実存主義

言葉が多くなればなるほど曖昧性を孕む。
ドキュメントライティングにおける手法は、それを低減する手法と言えるかもしれない。

必要成分による情報の伝達。
最少文字数で書いたつもりで意図が伝わらなかったのならば、それはただ文字数が過少なだけである。
引き算の美学
文章は情報を圧縮して、最少の文字数で最大のコンテキストを。

他人

前提として、書き手の意図は絶対に読み手に伝わらない。
他人だから。

欠落

言葉には限界がある。
言葉で表現できるのは、言葉で表現できるもののみだ。

情報は文字しかない。
会話に比べて情報が多く欠落している。

ドキュメントライティングと価値・原則・プラクティス

価値(※)は日々の業務で学べばいい。
プラクティスは実用書で学べばいい。
原則は哲学と心理学を学べばいい。

※価値: 目標を達成するために重要なこと

自分と哲学

「それが何であるか」より「それが何に使えるか」に重きを置く。

私が真理を追究したとて理解できないし、実生活の役に立たない。
哲学における”使えそうな思想”を実生活で”利用”する。

プラグマティズムは問題解決の手法として。
言語哲学はドキュメントライティングの手法として。

行き詰まり

人生に行き詰まったら哲学を学べ。
ゲームに行き詰まったら攻略サイトを見るが如く。
なぜならば、既に先人が同じことに悩んで結論を出しているから。

プログラミング・ライティング

システム開発において作成するドキュメントは、
特に形式が指定されていない場合、1文ごとに改行するといいかもしれない。
プログラムのコードと一緒だからエンジニアは読みやすいか。

意思疎通

自分の意見や考え、文章、話が意図通り相手に伝わると思うなよ。

テキスト・コミュニケーションは、
読み手と書き手、互いの「完全なる意思疎通」が達成されないことを前提としたやり取りだ。

文章を書く場合、
読み手の経験や生活形式によるバイアスを、取り除く努力をしなければならない。
読み手のスキルを推測し、過不足のないコンテキストを提示しなければならない。

文章を読む場合、
書き手の意図を推測しなければならない。
省かれているコンテキストを補填しなければならない。

顧客

システム開発において、顧客の要求をそのまま受け取るな。
システム開発のプロではない顧客が、どうして詳細な要求を出せるというのだ。
顧客の要求は、いわばコンテキストが一切含まれていない文章だと思う。
文章を読んで「why」が存在したならば、顧客に確認する。
そこにどういうコンテキストが存在しているのか。

探究

241 「それでは君は、人間の間の一致が、何が正しく、何が間違いなのかを決めると言うのか?」─正しい、間違っている、とは人間が語ることだ。そして言語において人間は一致している。それは意見の一致ではなく、生活の形の一致だ。

242 言語による意思の疎通には、定義の一致のみならず、(不思議に聞こえるかもしれないが)判断の一致も必要である。これは論理というものを廃棄するように見える。しかしそれは論理を廃棄しない。─測定方法を記述することと、測定結果を知り、それを表現することは別のことである。しかし我々が「測定」と呼ぶものは、測定結果の恒常性によっても規定されているのだ。

ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン. 哲学探究 (p.201). 講談社. Kindle 版.

言葉の意味は、
意見の一致ではなく、生活の形の一致。
定義の一致のみならず、判断の一致。
書き手がどう思おうが、一致した判断が意味。

意味は行動から生まれる。
使用と実践、振る舞い。

ローティの連帯。

文章

  1. 絶対的な意味解釈は存在せず、解釈は読み手のコンテキストに依存する。
  2. 読み手の解釈を書き手の意図に近づけるには、書き手のコンテキストを提示する必要がある。
  3. 提示したコンテキストが足りなければ、その文章は読み手のコンテキストを元に意味解釈される。

文章が意図通りに解釈されることはありえない。
読み手の数だけ解釈が異なる。

それでも意図と解釈は近づけられる。
自身のコンテキストを読み手のコンテキストに注入することである。
その手法は、文章を読んだときに発生する「why」を徹底的に潰すことだと思う。
「why」に対する回答が文中に無ければ、読み手は自身のコンテキストを使用する。

言葉の意味は判断の一致による。
各々詳細は違えど、全員の判断の一致によって言葉の意味が定義される。

「明確な意思疎通」とは文章の判断を一致させるように努力することかもしれない。
完全に同一の判断は不可能でも、「判断の収束点」を見つけることはできる。