X(Twitter) Zenn GitHub RSS 共有

認知言語学

作成日時:2025-12-01
更新日時:2025-12-01

概要

認知言語学 - Wikipedia
言語は人間の認知能力(比較/一般化/関連付け)を反映したものである。

チョムスキーの生成文法との対立から生まれる。

スキーマ

一般化して取り出された共通点。

カテゴリー

様々なものを何らかの観点で分類することをカテゴリー化という。
その結果、作られたまとまりをカテゴリーという。

メタファーと二次的活性化

「安らかに眠る」が「死んだ」ことを表すように、本来の意味が新たな意味を持つことを「二次的活性化」という。
湾曲表現的。

ついこの間、SNSで「無言の帰宅」が通じないユーザーが多くいた。
元となる語句、熟語、イディオムなどの意味に対する認識が異なれば、意図が通じることは無いのでは?

考え

言語は曖昧である。

認知言語学の入門書を読んで思ったことは、完全なる意思疎通の困難性と、すべては主観であるということ。
それぞれの人間の中にモデルがあるのだから。

哲学

言語が各個人に形成されたスキーマやフレームを元に解釈されるというならば、人間同士が”完全な”意思疎通を行うことは困難では。
これはウィトゲンシュタインの探求241-242では?

241 「それでは君は、人間の間の一致が、何が正しく、何が間違いなのかを決めると言うのか?」─正しい、間違っている、とは人間が語ることだ。そして言語において人間は一致している。それは意見の一致ではなく、生活の形の一致だ。

242 言語による意思の疎通には、定義の一致のみならず、(不思議に聞こえるかもしれないが)判断の一致も必要である。これは論理というものを廃棄するように見える。しかしそれは論理を廃棄しない。─測定方法を記述することと、測定結果を知り、それを表現することは別のことである。しかし我々が「測定」と呼ぶものは、測定結果の恒常性によっても規定されているのだ。

ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン. 哲学探究 (p.201). 講談社. Kindle 版.

認知療法

全てが主観に過ぎない。
この主観の歪みこそが認知の歪み(cognitive distortion)であり、ストレスの元となりうる。

ドキュメントライティング

共有知識を前提に会話している。
フレームやメタファー、メトニミーなど。
これらを取っ払って、ローコンテキストに会話をすれば意味が通じるのでは。

圧倒的読み手意識

例えばマニュアルに下記の一文があるとする。
「ボタンを押下すると、ポップアップが出る」

「押下」も「ポップアップ」もSEだから分かるのであって、一般人には分からないのでは。
「XXXボタンを押すと、確認メッセージが表示される」とすべき。

結局、文章が伝わるかは読み手に依存する。
「通じる」とはおおよその判断の一致に過ぎない。

つまり伝わる文章を書くには、圧倒的読み手意識が必要ではないか。

視野と視座と視点、そしてプラグマティズム。
「本当にこの表現は正しいか?」
「本当に読み手は理解できるか?」

形容詞・副詞

これらの言葉は曖昧性を孕む。
形容詞・副詞の解釈は読み手の主観に過ぎない。

概念メタファー

対象(目標領域)が理解しにくい場合、よく理解している別のもの(起点領域)に例えて理解すること。
メタファーは曖昧性を生みかねないから避けたいが、理解を容易にする概念メタファーは許容できる。
ただし、「起点領域が明確である」という条件付きで。

例えるなら、LLMや認知心理学をPCに例えて説明するときなど。

メトニミー

メトニミーを使う際は、コンテキストが十分に提供しなければならないと考える。

「Aはすでに冷たくなっていた」
メトニミー的に解釈は2つあるのではないか。
死んだのか、それとも態度がそっけなくなったのか。

それを決定づけるのがコンテキスト。
「Aは死にかけている」という文の後であれば、死んだことが容易に導出できる。