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知識創造企業とワイズカンパニー

作成日時:2026-01-04
更新日時:2026-03-15

知識創造企業とワイズカンパニーを読んだ所感とメモ。
特にまとめてはいない。

座右の銘

個人の座右の銘を再確認する。

個人的なまとめ

何が良くて、何がダメか。
それは経験と持っている情報と文脈によって決定される。
経験/情報/文脈を持ち合わせていなければ、最適な意思決定は行えない。
自身の行動の妥当性も検証できない。
だからこそ「はじめに認知ありき」。既知の未知の増大、知識の共有が必要となる。
情報/知識/思想/哲学/メンタルモデルを「知る」

知識の共有という点において、「知識創造企業」「ワイズカンパニー」は非常に有用な書籍である。

「とにかく『知れ』。話はそれからだ。」
というのが個人的に思ったもの。

所感

1.「知識創造企業」は知識の伝達に関して、「ワイズカンパニー」はメンタルモデル/哲学の伝達に関しての本だと感じた。

2.例に挙がる対象が大企業ばかりなので、優秀な人間が対象または性善説的な内容にやや思えた。
言うなれば「きれいな川における良い水流の作り方」といった感じで、私が居るドブ川ではどう適用すればいいのかと悩む。
善なる知識や思想を伝えても動こうとしない人間は現場にあふれている。おおよそ利己主義。
何も考えずに仕事をする人間もいる。内面化が行われない。
こういった点において企業倫理研修(ワイズカンパニーで言えばフロネシスの伝達?)は必要なのだろうか。

3.やはり私の座右の銘「はじめに認知ありき」は良いなと思った。
概念や情報が認知されなければアクションは発生しえない。
認知が無ければSECIも回らない。

4.方向性の提示、whyの伝達、価値・原則・プラクティスの提示、越境学習

5.SESの文脈において、社員が高齢化してきて案件が見つかりづらくなっている。
だったら若手に知識を伝えて単価が高い人材を育てていこう。養ってもらいたい。
介護じゃないけどもそのほうが全体的にプラスでは?SECIモデルを回して若手をどんどんパワーアップさせる。
ワイズカンパニーに載っている橋の詩の如く。後に来る者のために動け。後続が苦労をしないように。

6.知は余暇から生まれる。
作業の際に実践知を得るかもしれないが、まとめる時間が無い。
残業100時間の状態で勉強する時間はあるのか?
「ステークホルダー全員を定時で帰らせる」

7.価値(知識/思想)を共有する。
企業の思考と行動を決めるのは「企業文化」である。
文化とは共有された価値である。
(知識創造企業 P.75)

8.局所最適化しても全体が煩雑のままではよろしくない。
局所で培った知識をよそに伝達する。

暗黙知

言葉にできない知。できるのは形式知。

共同化や表出化はしておけ。
個人の暗黙知で終われば、その知識は時間の流れやその人の退社によりロストする。
組織には何も残らない。

実践知とは

途中でフロネシスとかなんとか出てきたので終盤までよくわからなかったが、おそらくメンタルモデル的なものか。

「経験で培われた暗黙知」とも表現されているし、「フロネシス」とも言われている。
「高次の暗黙知」「メンタルモデル」的なニュアンスがあるから、

暗黙知→個人の中にあるノウハウ的なもの。
実践知→メンタルモデル、思想、認知モデル、フレーム、スキーマ、暗黙知の方向性。フレームワークとも言えそう。

共同化

共同化は社内だけではない。
ユーザーやステークホルダーとの交流により暗黙知を得ることもある。

システム開発の文脈でよく下記のことが言われるが、今思えばこれは共同化の作業とも言える。

ユーザーとして暗黙知を手に入れる。

カオスの注入

知識創造企業 P.135 創造的カオス
曖昧なビジョンを与えることで社員が自ら考え、“良い”知識を創造する。
本書にも書かれてあるが、それは社員が自ら考える能力を持って初めて意味を成す。

個人の思想と考え的には、ビジョンは明確であってほしい。
ビジョンが曖昧であれば方向性が定まらない。
それは社員が自身の行動の妥当性を検証できなくなる。(P.127)
価値・原則・プラクティスが適切に提供されていなければならない。

カオスの発生元はどこからでもいい。
意図的に困難な目標を立てたり、越境学習ややったことのない作業を行ってもいい。
その揺らぎに知識は生まれる。

ミドルマネージャーの役割

ミドルマネジャーは、組織値を創造し変換する人、またそのプロセス全体を促進する人、そして変化をもたらす人だとみることができる。
知識創造企業 P.259

プロセス全体を促進する人。
トップの暗黙知やビジョン/フィロソフィーを嚙み砕いて部下に提示すること。
トップの理想と平社員の現実との間の橋渡しをする。
トップの暗黙知と社員の暗黙知を統合する。

トップダウンやボトムアップでは一部の知識しか蓄積されない。

コンウェイの法則において、ミドルが別チームの情報を取得して自チームに連携する動きをしていたとしたら?

伝達者であり先導者。
創造的カオスの章にもあるが、トップのビジョンが抽象的ならば、少し具体的にして部下に伝える。

1on1は共同化とミドル・アップダウン・マネジメントが含まれるのでは。

「場」の形成

知識は相互作用によって創造される。
相互作用を生み出す場の形成が必要となってくる。

サントリーの「2人の社員証を自販機にタッチすればタダで買える」取り組みも場の提供とみられる。
【公式】社長のおごり自販機 - 職場内コミュニケーション活性化に|サントリー

ペアプロも共同化の場とも言える。

「場」だけを用意しても意味はない。
相互作用・相互交流により知は想像される。
誰かがWikiを更新するだけや記事を書くだけならば、それはただの情報共有。

情報と知識

ロゴス・エトス・パトス

ワイズカンパニー P.293
論理と感情と倫理で他者を説得する。

言葉の伝達困難性

暗黙知を文書として形式知に変換しても、文書は読み手各々の認知モデルによって解釈されるので、完全なる知識の伝達を行うことはできない。
認知モデルを摺り寄せたり、言語化できない知識を伝達するのが共同化における暗黙知の共有か。

ワイズカンパニーにおけるメンタルモデル/コンテキストの共有化が、知識の伝達を認知モデルの摺り寄せでは?
場(文脈)の形成が必要である。


共同化→共感知
表出化→概念知
連結化→体系知
内面化→操作知

SECIモデルとは?ナレッジマネジメントの軸になる考え方を概要から具体的な方法まで徹底解説!|KnowledgeSh@re|富士通ラーニングメディア

知識を共有するメリットが少ない
内面化にハードルがある

概念の認知。
知識を共有するメリットが少ない→メリットが何かを考える概念の認知
内面化にハードルがある→思考停止の作業ではなく、行動の意味を考えるという概念の認知

野中解釈から導いた私の統合理論

ナレッジマネジメントに関して。
野中郁次郎の著書、“知識創造企業”、“ワイズカンパニー”、その他を読んで思った。

全体を通して”善の追求”とその方法論がテーマだと感じた。
ここで善とは、最善/最適/社会善/イノベーション(企業の善)などの抽象的なあらゆる”良いもの”を指す。
しかし、ここで善とはその共同体における暫定的かつ普遍的な決定である
暫定的なのは時と場合と状態により、その正しさが変わるため。
普遍的なのは組織としての方向性を指し示すため。

善を考える(創り出す)、またはその妥当性を検証するためには、知識の増大とメンタルモデルの構築が必要である。
“知識創造企業”では知識の増大、“ワイズカンパニー”ではメンタルモデル(=実践知、フロネシス、何が善か)の共有に関して書かれた。

他者との相互作用により、暗黙知と形式知の相互変換から新たな知を生み出す。
他者との相互作用により、メンタルモデルを共有する。
個人のみではこれらが発生しえない。狭い視野で考えざるを得なくなる。

ネオ・プラグマティズム的に、善とは自身の経験と社会の連帯から暫定的に決定される。
経験は知識で、連帯はメンタルモデルだと考える。
認知心理学/認知言語学的には、物事はそれまでの経験で作られた認知モデルによって解釈される。

故に、善の追求のために知識の増大とメンタルモデルの構築をしなければならない。
これが野中の著作を読んだ私の感想。

著書に哲学の話が多いのは、哲学のその”真理を追究する”というその性質が、“善の追求”に近しいから。

善の追求

善の判断は知識とメンタルモデルと状況によって行われる。

善はそれぞれの認知モデルによって判断される。
認知モデルは人によって異なる。
故に完全な判断の一致は発生しえない。
それは自分自身に対しても適用される。
今の自分と明日の自分とで善は異なる。

故に思考し続ける。
知識を蓄え、メンタルモデルを更新し、常に何が正しいかを思考し続ける必要がある。
これが幸福実現の手法であり、その思考のただなかにいること、つまり思考こそが幸福である。

会話の本質は「コンテキストの共有」だと考えている。
つまり「判断の一致」を行うための判断材料を共有する。
「なぜそう考えたか」を相手が認知さえすれば、問題が発生する可能性は低減する。

善の追求について

「知識」とは情報に思想がついたものである。
「メンタルモデル」とは「AならばBである」のような思想の型である。
「善の追求」は共同体における共通善とする。

善の追求をするためには、下記が必要である。

  1. 知識とメンタルモデルを質・量ともに改善し続けること
  2. メンタルモデルは共同体(組織内)で共有されること

人間の判断は知識(情報)とメンタルモデル(考え方)を元にして行われる。
これらが充足していないならば、正しい意思決定、つまり善の追求を行うことはできない。
なお、ここにおける「正しい」は「その場においておそらく最適解であろう」という意味の「正しい」である。
絶対的な正しさは存在しない。

個人のみにおいてこれらが充足していても、共同体においてはうまくいかない。
他者とは認知モデルが異なるので、同一の知識を持っていたとしても、同一の善が導出されるわけがない。
方向性の違いや衝突につながる。
メンタルモデルの完全な共有は不可能だが、ある程度は合わせたほうがいい。

知識が無ければ何が最善かも分からない。
知識が無ければ善の実現方法も分からない。
メンタルモデルが無ければ何が最善かも思いつかない。
メンタルモデルが無ければ何が最善かの意思決定もできない。
メンタルモデルを共同体で共有してある程度の一致をさせないと、共同体における善が分からなくなる。

「(その時点においておそらく正しいであろう)善」の追求は知識とメンタルモデルが充足している場合において、実現しうる。

はじめに認知ありき

故に私の座右の銘である「はじめに認知ありき」が重要である。
知識もメンタルモデルも認知しなければ、なにも始まらない。

概念を認知しなければ、概念に則った行動を起こすことはあり得ない。
背景を認知しなければ、背景に合わせたベストな行動を起こすことはあり得ない。

認知してこそ、人間は「正しく」行動を起こしうる。